幸せとは何か?

このような記事を見ました。


顧客原理主義が日本を破壊する
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100220/1266667364


「みんな疲れているんだ。」というところは個人的には共感しました。ただ個人的には疲れよりも、


「自分がその仕事をやっていて幸せかどうか?」


が大事と感じました。


「長い通勤時間。連日の残業。理不尽な顧客の要求。サービス残業。休日出勤に徹夜。働いて働いて、それでも給料は上がらない。昇進もしない。日本経済の衰退を告げる連日の暗いニュース。」


こんな過酷な状況であってもその仕事が自分の仕事欲というか自己満足につながっているのであれば幸せな気持ちを持ちながら仕事を続けられると思います。しかし現実にはなかなかそこまでの満足を仕事で得られることは難しいように思います。趣味であれば何もかも自分で好きなようにできますが、仕事は基本的に他者との共同作業や駆け引きが発生するものです。その結果によっては自分の満足につながらないことをしないといけなくなる状況も出るでしょう。


では仕事は何のためにやるのでしょうか?


単一の答えにはならないでしょう。生活するためのお金を稼ぐ目的もあるでしょうし、技術習得・社会勉強という面もあるでしょう。仕事と自分のやりたいことが一致している場合は仕事自体が目的になるでしょう。


では仕事と自分のやりたいことが不幸にも一致しておらず、お金がたくさんあって技術も習得済みなら仕事はやらなくていいのでしょうか?


私はそれもありだと思います。そういう状況であれば自分の好きなことばかりやるのもいいのではないでしょうか。


社会への貢献?そんな考えは不要です。社会への貢献自体が自分の幸せにつながると感じる人や、社会への貢献によりイメージアップなどのメリットを享受する人たちがやるべきで、社会への貢献が自分の幸せに結びつかない人はやる必要はありません。(ただし全く意味が無いとは言いません。物事には何事にもプラスの面とマイナスの面がありますし、まわりまわって自分のプラスになるということもあると思います。) なかには自分の好きなことが社会に貢献するということもあるでしょう。趣味は利益度外視で実行できるものであり、利益を最重要視する会社では実現できないことを実現できることもあります。


ただ自分の好きなことばかりやる場合、後ろめたさが問題です。男子たるもの家庭を持ち家族を養ってこそ一人前という社会意識は強いと思います。実際に家庭を作ることは幸せの1つの形でしょうし、地域や国の発展にも貢献できると思いますのでそれ自体は否定するものでは在りません。ただ個人的な面ではトレードオフだと思うのです。「家庭」というリスクとリターンを得る代わりに「自分のための時間・資金」がへります。「家庭」を持たないという選択はそれなりに意義のある選択と思うのですが、それに後ろめたさを感じないといけないのはなにか残念に感じてなりません。私は悩みぬいた末に家庭を持たないという選択をした人には敬意を払いたくなります。


最後に、仕事と自分のやりたいことが不幸にも一致しておらず、さらにお金も無い人はどうすればいいのでしょうか?

  • 今の仕事を我慢して続ける
  • 今の仕事を続けるが、何らかの改善を行う
  • やりたい仕事にかえる
  • 仕事をやめる
  • 人生をやめる


どれも苦難の道です。


幸せの形と言うのは自分で見つけないといけません。友人や先輩に相談することは可能だと思いますし、新しい見方も出来るようになると思いますが、最終的には自分でないと決められないものです。なるべくくいの残らないように人生を生きたいところです。